東京オリンピックのボランティアに参加します
東京2020大会事務局からメールでボランティア参加の打診があり、私は大会ボランティアに参加することにしました。
正直、うれしいです。定年後の今、元気でいること、自由に時間が使えることに、まさに感謝、感謝です。
届いたメールには、『トリビューンチームメンバー、会場: 東京スタジアム、FA(Functional area): プレスオペレーション』とだけ記されていました。
これだけではよく内容がわかりませんが、4月の個別面接で詳しい説明があるようです。
調べてみると、私が配属される東京スタジアム(調布市)では、サッカーと近代五種、ラグビーの試合が開催されるようです。
それら競技の報道のお手伝いをすることになるのでしょうか。
とにかく今回のオリンピックは、観戦するだけでなく、自分がボランティアとして積極的に参加できる立場になります。それが単純に嬉しいです。
小学生だった前回の東京オリンピック
1964年の東京オリンピックの時は、私はまだ小学3年生でした。あれから早、56年が経ちました。
前回のオリンピックでは、競技場には行けませんでしたが、毎日家でテレビ観戦にくぎ付けになっていたことを、きのうのように覚えています。
1964年の10月10日から24日までの開催期間で、秋の好天に恵まれました。
開会式の10月10日は、その後「体育の日」として祝日になりました。
いまは、「ハッピーマンデー法案」の制定で、10月の第2月曜日になっていますが。
日本人選手の活躍は素晴らしく、メダル獲得数は、金16個、銀5個、銅8個の合計29個でした。
特に目を引いたのは、女子バレーボールですが、男子体操の団体と個人の優勝も印象に残っています。
体操女子個人総合では、優勝したチェコスロバキアのチャスラフスカさんの優美な演技は、「オリンピックの名花」と讃えられ、絶大な人気を博したことを覚えています。
今でもその時集めた記念切手と記念硬貨が、家に残っています。
アトランタオリンピックの年が、人生の岐路だった
1996年の夏のアトランタオリンピックの時は、仕事でニューヨークに住んでました。
オリンピック期間中に、2度アトランタの五輪会場を訪ねました。
オリンピック精神は、「勝つことでなく、参加することに意義がある」といいますが、アトランタ大会では日本の金メダルは全部で3個でした。
それも柔道だけ。まさに参加するだけで、日本チームが絶不調の頃でした。
唯一、女子マラソンで銅メダルの有森裕子さんが、ゴール後のインタビューで、「初めて自分で自分をほめたい」と語った姿が印象に残る大会でした。
ニューヨークに戻り、どうも体調が気になり、病院で検査した結果、ステージ2のガンが見つかりました。
私にとっても絶不調の年になりました。
男の厄年は数えで42歳と云いますが、まさに本厄で大病を患いました。
医師からガンであることを告げられ、仕事に戻るニューヨークの地下鉄の中で、自分がつぶやいた言葉を鮮明に覚えています。
「定年まであと20年もあるのに、俺の人生はそこまでない?・・・かもしれない」。
それは、生まれて初めて自分の定年後の人生を思い浮かべた瞬間でした。
お蔭様で、ニューヨークでガンの摘出手術と放射線治療を受け、その後転移や再発もなく、定年後のいまでもこうして元気で過ごせています。
新型コロナウィルスの感染がいつ収まるか予断を許さない状況ですが、オリンピックのボランティアに参加できることは、私にとっての人生の拾い物、ご褒美だと思っています。
東日本大震災でのボランティア不参加が心残り
今回の東京2020大会は、復興五輪が旗印です。
3.11の震災当時は私も仕事が忙しく、ボランティア活動に参加しなかったことにいまも悔いがあります。
震災の1週間後に所用で、東京から新幹線で当時終点だった那須塩原まで行き、レンタカーを乗り継いで仙台まで行きました。
そのときの仙台市の海沿いの荒涼とした風景と臭いが、目と鼻に鮮明に焼き付いています。
今回のオリンピック、パラリンピックが、名目通り被災地の方々の「心の復興」の手助けになればとの思いを強くします。
今回フィールドキャストに応募した理由
「私には定年後がないかもしれない」と覚悟した40歳の時から、私の人生に対する考えは大きく変わりました。
健康で定年退職を迎えたいという目的意識よりも、定年以後の人生をどう生きるか考えるきっかけになった年でした。
わたしのブログサイト「セカンドライフの楽しみ方」は、定年後の生きがいを感じる人生にスポットをあてています。
フィールドキャストに応募したのも、自分が生きがいを感じたい、少しでも役に立てれば嬉しいというのが理由です。
ボランティアの神髄とは
もともと自発的な行動であり、自分が楽しむため、自己実現のための手段だと考えます。
ボランティアとして参加する一人ひとりの参加する目的は違うかもしれませんが、自発的に、それぞれの理由で参加しています。
参加しない自由もあれば、参加する自由もあるのです。
文:小暮貢朗