一度は訪ねたい信楽焼の里
NHKの連続テレビ小説 『スカーレット』で注目されている信楽のまち。
ドラマはやきものの里、信楽を舞台に、女性陶芸家の波乱万丈な人生を描きました。
女優の戸田恵梨香さんは、主人公川原喜美子の陶芸に打ち込む情熱と喜びを見事に演じました。
信楽焼は日本六古窯のひとつに数えられ、古くから日常に関わり歩んできたやきものです。
その素朴な風合いは、いにしえの茶人たちを魅了しました。
信楽焼の歴史
信楽は、やきものに良好な陶土が豊富にあり、陶工たちにとっても理想郷だったといえます。
茶湯の中核として発展したのは、京に近いことが茶陶信楽焼を発展させた大きな要因でした。
素朴さのなかに、日本人の風情を表現できるうつわとして、室町・桃山時代から茶人をはじめ多くの文化人に親しまれ、珍重されてきました。
私の好きな信楽焼の特徴?
信楽焼のスカーレット(緋色・火色)は、高温で焼成することで、土中の鉄分が赤く発色することでできあがります。
灰が降りかかりできる緑色のビードロ釉、灰に埋まり渋い青や紫の焦げ模様になったりと、信楽焼は自然と偶然が織りなす、まさに炎の芸術です。
私は自宅で自作の信楽焼の花入れを使っていますが、普通の花瓶と違って、活けた花が長持ちします。
うつわの表面が釉薬で覆われていない信楽焼などの炻器は、うつわが呼吸するため、中の水が腐らないのです。
表面を触ると、うっすら湿っているのはそのためです。
信楽の街歩き 窯元巡り
信楽のまちは、古いたたずまいの坂路に沿って、窯元が点在しています。
下は、信楽窯元散策路Waのホームページ
私の好きな窯元
高橋楽斎窯がおススメです。
私が初めて高橋楽斎窯を訪ねたのは、今から15年前です。
週末、大阪出張の際に土曜の早朝から足を延ばして、信楽の陶房を巡りました。
信楽駅から歩きいくつかの陶房を訪ね、一番奥のはずれにあったのが高橋楽斎窯でした。
いかにも由緒ある窯元の門構えで、ちょっと敷居が高かったのですが、思い切って入ってみました。
突然の訪問にもかかわらず、陶房について丁寧に説明してくれ、登り窯、蛇窯など広い陶房を隈なく案内してくれました。
私はその時観た緋色に魅せられ、いつか自分でも信楽焼を焼いてみたいと強く思いました。
その後、東京で信楽焼を穴窯焼成している陶芸家を探し、いまでも年にその陶芸家と仲間たちと共同で、年に2回ほど穴窯焼成をしています。
最初の訪問から10年後、今度は妻と二人で高橋楽斎窯を再び訪ねました。
その時もアポなしにもかかわらず、1時間も快く歓談してくれました。
高橋楽斎窯を訪ねて驚いたのは、うつわの緋色(スカーレット)の鮮やかさです。特に蛇窯で焼くと緋色が出やすいそうです。
信楽焼が廃れていた時でも、三代目の高橋楽斎は、四代目の上田直方と共に、焼締陶器をつくり続けました。
その結果、何とか信楽焼の灯は保たれ、1970年代に入り朝ドラ、「スカーレット」のモデルといわれる陶芸家・神山清子さんによる自然釉の古信楽の復元につながるのです。
高橋楽斎窯
滋賀県信楽町長野1433
0748-82-0323 0748-82-0960
五代 楽斎 高橋光三さんのプロフィール
1954(昭和29)~ 滋賀県甲賀市(信楽町)生まれ
五代高橋楽斎は、古信楽の作風を基調に、茶陶から花器や食器など幅広い仕事を手掛ける甲賀市在住の陶芸家です。
信楽を代表する陶家・楽斎家に生まれ、京都府立陶工専修訓練校と滋賀県立窯業試験場経て、父四代楽斎に師事し作陶を学ぶ。
平成22年、五代楽斎を襲名。
楽斎窯の家業を守りながら、現在は個展や企画展を中心に活動しています。
大壺に定評があり、信楽の土味や薪窯焼成の焼味を生かした、素朴で穏やかな作風に特徴があります。
たぬきの置物
信楽焼のたぬきの置物の歴史は比較的浅く、明治時代に陶芸家の藤原銕造が作ったものが最初と言われています。
1951年、昭和天皇が信楽町行幸の際、たくさんの信楽たぬきに日の丸の小旗を持たせ沿道に設置したところ、たぬきたちが延々と続く情景に感興を覚え、歌を詠んだ逸話が新聞で報道され、全国に知られるようになったそうです。
今ではたぬきの置物は、信楽焼の代名詞のような存在になっています。
信楽焼の観光情報
文:小暮貢朗