65歳になり、私も前期高齢者の仲間入り
私は今月で65歳になり、前期高齢者の仲間入りをしました。
65歳定年が多い昨今、多くの人にとってこれから75歳までの10年間が、本当の意味で「心身ともに楽しめる、人生で最初で最後の期間」だと思います。
私の場合、一足早く62歳でサラーリーマン生活に別れを告げ、シニア起業をしました。
「石の上にも3年」で、65歳までの3年間で事業を何とか軌道に乗せたいと目論んでいましたが、見事に外れ試行錯誤と悪戦苦闘の連続です。
友人や知り合いも、60歳から嘱託社員で仕事を続けていた人が多かったですが、今年65歳でいよいよ卒業を迎えます。
人生100年時代といわれるが、健康寿命は短い
2018年の資料では、男性の平均寿命は80.2歳、女性が86.6歳です。
人生100年時代と言われるように、100歳まで生きる人は今後ますます増えるでしょう。
しかし「健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間」という健康寿命の定義からすれば、男性の健康寿命は71.2歳、女性でも74.2歳と、65歳からすぐ鼻の先なのです。
そういえば私の友人、知人も、60代になってガンや心臓疾患でなくなる人が増えてきました。
シニアの楽しみのトップは旅行、女性の3人に1人は健康づくり
ソニー生命の2018年調査では、シニアの楽しみでは「旅行」がダントツ、女性シニアの3人に1人が「健康づくり」を生活の楽しみにしています。
また、65歳以降も就労意向がある人はシニアの3人に1人、学び直し意向があるシニアも3人に1人います。
シニアが学習したい内容は、1位が「語学」、2位が「歴史」、3位が「パソコン・インターネット」の順です。
また私が執筆の場にしているレンタルオフィスに
さらにその後、近くの喫茶店で話し込んだ時に、「生活のリズムをつけるのは大変ですか?」と私から尋ねてみると、「朝起きてやることがないと、朝食をとるとまた寝てしまう」という。「寝てしまった後は、外出する気分も失せてテレビを漫然と見ていることが多い。だから二度寝をしないように、できるだけ外出することを心がけている。図書館や百貨店、映画館などをぶらぶらしていることが多い」そうだ。
最初の事業は失敗に終わる
やはり定年時点での主体的な意思や姿勢が大切なのだ。早期退職して起業したある先輩は、定年退職日に辞めるか、その一日前に退職するかだけでもその落差は大きいと語っていた。主体的な意思は定年後を考える際の大きなポイントである。
先ほどの隠居と定年の比較から言えば、隠居は自由意思に基づいた主体的な選択であるのに対して、定年は本人の意思にかかわらず引退する意味合いが強い。
そういう意味では、会社で働いていたときはツアー旅行やパック旅行だったと言えるかもしれない。目的地に行くのに会社がある程度おぜん立てをしてくれる。
方向転換し、サイトを運営中
やはり定年時点での主体的な意思や姿勢が大切なのだ。
主体的な意思は定年後を考える際の大きなポイントである。
定年後は自分で計画を立て、自分で実行する。パック旅行ばかり求めていては、何のために生きているのか分からなくなる。
60歳から75歳の15年は「自己の裁量で好きなように生きられる」
逆に言えば、大半の人は75歳近くまでは、他人の介助を受けずに自立して生活することができる。
定年になる前の60歳未満の現役の時は、家族の扶養義務なども大きいのでなかなか自分の好きなことに取り組みたいと思ってもそうは簡単にはいかない。しかし定年後は時間的にも気持ちの面でも自分でコントロールできる範囲が広がる。
夫の「家庭に居場所がない」問題と妻の「主人在宅ストレス症候群」
定年を境とする大きな落差。これを埋めるためには、少し前もっての「準備」が必要なのかもしれない。その日が来てから慌てないために、あらかじめ考えておくべきことがありそうだ。
定年退職した男性が社会とのつながりを失って「誰も名前を呼んでくれない」状態に陥った事例や、「家庭に居場所がない」ことから家族との間に軋轢が生じているケースも紹介してきた。
定年退職日はある時点でいきなりやってくる。その日を境に、長年取り組んできた仕事も、会社での人間関係も、スケジュールもすべて一度に失われる。
一方で、本人自身はいきなり変わることはできないので、そのギャップの大きさに戸惑うのである。
「定年後」は50歳から準備する
私の場合、40歳でガンを経験。50歳の単身赴任中に零年後の準備を始めた。
定年後の自らの姿から逆算して、働き方を見直す必要性
定年退職者が社会とつながることを考えてみると、概ね3つのパターンがある。
1つは、組織で働くという選択
これは雇用継続で65歳まで元の会社で引き続き働くケースや関連会社で働く場合もある。またハローワークや民間の人材紹介会社、知人に紹介してもらう場合もあるだろう。
2つ目は、それまでの勤め先企業の業務と関連のある仕事に就く人たちだ。保険会社で営業を担当していた会社員がキャリアを活かして保険代理店を始めるような場合である。
3つ目は、今までの仕事とはまったく違う生き方に取り組むケースもある。蕎麦屋を開店したり、農家で独立するような起業するケースもあれば、陶芸や好きな研究に打ち込んだり、昔の音楽仲間と一緒にバンドを新たに組んだり、僧侶になったりする例もある。
「仕事」、「ボランティア」、「地域活動」といった世間のカテゴリーにとらわれるのではなく、彼のように自らの興味、関心があるものを積み重ねるというやり方がうまくいくことが多い。
そして主体的な意思で取り組めば、三日坊主でも三日分は進歩する。また、一見無駄と思えることも後に意味を持ってくることがある。Dさんは60歳で定年退職してから5年以上になる。しかし退屈したことはないそうだ。
このように人によって社会とつながる形は多様だ。望むべくは自分の向き不向きを見極め、自らの個性で勝負できるものに取り組むことだ。
生涯には「積み立て型」の時期と「逆算型」の時期がある
以前、当連載の第1回目(「定年退職か雇用延長か「60歳の選択」には準備が欠かせない」)でも紹介したが、年度末に定年を迎えるある会社の社員数人が、「60歳で退職するか? 65歳までの雇用延長を選択するか?」の話で盛り上がっていたが、その場が一瞬静まり返った。それは「自分の親父は60代後半で亡くなった。それを考えると残りはあと10年だ」とある人が語った時のことだ。
皆の頭に浮かんだのは「エッ、あと10年? 残りの人生はそんなに短いのか」という共通した思いだった。平均寿命は80歳を超えても、それはあくまでも「平均」だ。
現役の会社員が10年後に亡くなると考えたら、どのように生きたいと思うだろうか。最後まで仕事に全力を注ぐのか、それとも家族と過ごす時間を長く確保するのだろうか。
寿命から逆算し、今は何をやりたいか
皆の頭に浮かんだのは「エッ、あと10年? 残りの人生はそんなに短いのか」という共通した思いだった。
平均寿命は80歳を超えても、それはあくまでも「平均」だ。
現役の会社員が10年後に亡くなると考えたら、どのように生きたいと思うだろうか。最後まで仕事に全力を注ぐのか、それとも家族と過ごす時間を長く確保するのだろうか。
定年退職後に、何をすればいいか、何を張り合いにして生きればいいかがわからない、という人は少なくない。そんな時、「子どもの頃、好きだったこと」や「なりたかったもの」を思い出すと、展望が開けるかもしれない。
過去の自分も友達
「人生100年時代」ということが普通に語られるようになった現在では、会社員の役割をこなすだけでことが足りる時代ではなくなった。定型的な一つのモデルだけで生涯を設計することはもはや不可能である。
60歳の定年退職者がいつまで生きるかという平均余命で見ると、男性は85歳前まで、女性は90歳近くまでになる。定年後も男性で25年、女性だと30年近くの寿命がある。
面白いことに過去の記憶と結びつくのは25歳までに聞いた歌に限られている。私の場合はサザンオールスターズの「いとしのエリー」までなのである。
それ以後の曲では思い出と結びつかない。歌を聞くと脳が活性化する実感までは得ることはできないが、なぜかエネルギーが湧いてくる。
幼少期から取り組んでいるスポーツや楽器演奏を梃子に新たな自分を見出す人もいる。子どもの頃と現在の自分が結びつくと、その人なりの物語が生まれる。
定年後を「いい顔」で過ごすためには、再就職や地域活動、ボランティア、趣味等のほかに、子どもの頃の自分と語り合うことも一つの手立てになるのではないだろうか。